自分の嫌いなことを書く勇気
こんばんは、ダチョウです。
今日はジムでエアロバイクを爆漕ぎして帰ってきました。
のちのち書きますがエモいロックが大好きなので、ラストはコンバージと言うバンドのアルバムを爆音でかけて猛烈に走ってました。
(知ってる人は驚くだろう…ちなみにダチョウは一応女です。うふふ。)
とてもすっきりしますよ!
そろそろ運動もしやすくなってきましたし。
ハードコアが恋しい季節!!!また紹介するよ勝手にね!!!
ところで最近、仕事でいろんな方のブログを見る機会が増えてます。
今日はたまたま、
「自分の嫌いなこと」
をテーマにした記事をいくつか見かけました。
ネガティヴに聞こえる感じですが、これ、勇気だと感じました。
(人の引用とか使っていいのか分からない!紹介したいけど引用の仕方を勉強してからにしておこう…うう)
はじめに見つけたのが、
「悲劇のヒロインが、大嫌い。」
ああ、これ!
半年前くらいに会社の先輩も言ってた!
悲劇のヒロインの存在を知った当時はあまり共感できなかったけど、最近は確かになあ、と思ってます。
どんな人かと言うと、
私、これだけ頑張ってるのに誰も振り向いてくれない!
頑張ってるのに、世間は私を置いてきぼりにするの、可哀想でしょ?私。
ちょっとdisりすぎかな?
自分が何かに集中してて失敗したとき、自分以外のもののせいにすること。
テニスの大会で負ければ、天気が悪くて視界がじゃまされた、とか、相手が明らかに格上だった、とか。
彼氏に振られたら、これだけ尽くしてきたのに、これだけ優しい私でいたのに、神様ったらいじわるね…なんて。
「自分は頑張ってる」
これを切り崩すのが怖くて外部要因にする。
これ、私自身がすごく当てはまるんです。
初めて悲劇のヒロインって聞いたときにも、そんなに違和感がなかったのは、たぶん自分が悲劇のヒロイン気質だからなんだと思います。
気付かないふりして、内心どこか持ってる。
それから悲劇のヒロインについて考えるようになって、
「こういう人、ダッサ!」
って思うようになったとき、周りの悲劇のヒロイン気質が異常に気になるようになってきました。
一時期、というか今でも、アレルギー反応みたいに嫌悪感を抱いてしまいます。
きっと、自分にその傾向があったから、
「周りはどうなんだろう?」
「私はちゃんと気にしてるけど、あの人は気にしてない。」
と、無意識に感じてしまうんだと思います。
気にしている私は正義だあああー!とか思っちゃうとこまできたら、だいぶ重症♡
自分が嫌いなこと
それって、書くだけで勇気だと思う。
なぜなら、対象の性質が嫌いだと人以上に思っているほど、その性質が自分に深く関わっている可能性があるから。
正直、悲劇のヒロインは嫌いだって、公の場で言うの辛い。
自分の中で嫌いって言う分には楽。言うだけ言っておけばいいんだもん。
公の場で言うのは、人前で自分の一部を否定すること。
でも、みんなの前で自分の嫌なところを露わにすることで、本当になりたい自分の一歩を踏み出せるとも思う。
ポジティブばっかりが闊歩する世界だけど、ネガティヴを吐くことで、自分っていう温床にいる嫌な性格を引っ張り出せたら、ネガティヴってそんなに悪い響きじゃなくきこえるかな。
そんなややこしいことを考えてた1日でした。
鳥にしては思考がぐるぐるしたぞ。
よく考えると眠いね!おやすみ!